名称    :   旧岩谷堂共立病院    (明治記念館)

所在    :   岩手県奥州市江刺区南町4-8

HP       :   明治記念館 (奥州市観光情報サイト内)

明治7年に創建された旧岩谷堂共立病院は、設計者は不明だが、地元の棟梁及川東助を中心とした16名の大工たちの技能の結
集であり、擬洋風建築として先駆をなし、現存する東北最古のものといわれる。
その容姿は、長い封建時代から解放された近代への黎明期を象徴し、住民や訪れる患者に明るさと安らぎをもたらすものであった。

3階以上の建築が許された直後の日本において、在来の和風技法に依りながらも、新しい洋式病院の機能に応え、それに相応しい
外観にまとめ上げた最も初期的なかつ斬新な建築例であり、建築史的、文化史的に貴重な建築物であるといわれている。

当時は仙台藩に属した当地では、建部清庵、大槻盤渓、高野長英等優れた学者、蘭方医を輩出した伝統により、西洋医学導入の
高まりは住民の理解と協力を得て、明治8年、共立病院の誕生を見た。しかし開設間もない明治9年に県制が敷かれたことにより、
仙台藩を離れ岩手県に編入されたため、官費の運営は不可能となり、明治11年頃には閉院されたものとみられている。

その後、建物は、治安裁判所及び登記所、尋常小学校、実科高等女学校等に使用され、大正初期から昭和36年まで岩谷堂町役場、
江刺市役所として使われた。昭和54年に岩手県指定有形文化財となり、昭和57年に復元工事が施されて明治記念館(旧岩谷堂共
立病院)として公開され、市民のシンボルとして親しまれている。

<構造図>

下層部に1、2階、下層屋根裏に3階部を配し、上層に4階
を設け、さらに頂部に塔屋を載せた、外観三層の楼閣式建
築である。平面形状は1・2階とも6間四方、3・4階は3間四
方、塔屋は隅切りの八角形である。

正方形の平面を持つ楼閣式のこの建築には、均整のとれた
安定感が見られ、各層間に快い諧調性があって、一種のモ
ニュメント的風姿を呈している。

<中央玄関外観>

立派な玄関である。

洋風建築でありながら、玄関にも、和の佇
まいが感じられる。

<中央玄関内観>

擬洋風の扉といえど、まるで大名上屋敷の
門戸のような風格がある。

なかなかおもしろい。

<中央玄関 開門>

なんとこの扉、折り戸式で観音開きの扉、
内側は上下二本のかんぬきで閉鎖する
構造である。

<4本の通し柱>

建物の中央部の4本の主柱は通し柱で、
4階の軒桁まで達し、4階では隅柱となっ
ている。

<土間と吹き抜け>

1階は面積の半分以上が吹き抜け天井で、洋式の
工夫がみられる。

<1階>

1階には、明治記念館にまつわる展示
がある。

<2階への階段>

これは、かなり急な階段である。 病院の階段がこんな
角度でよかったのだろうか?

<2階>

明治7年に創建のこの建屋、2階部には
外部への開口部がなく、障子は、室内の
吹き抜けにあけられたものである。

腰障子は和風の小屋組手法である。

<3階>

3階4階は先ほどの4本の通し柱に囲まれ
た空間となっていて、四方が屋根にあたる。

しかし、面白い構造の建築物である。

<4階>

2階、3階と異なり、明るい窓をもつ開放感
のある部屋である。

左右半開きで片引き戸のガラス窓となって
おり、外観的には洋式の上げ下げ窓を模し
ている。

<床はすべて拭板敷>

床、根太の上に張った板をきれいに平ら
にしたものを拭板敷 (ぬぐいいたじき)
という。

<洋風手法の外観>

窓上に水平に施されたストリングコース(壁面の階と階
を区切る胴蛇腹)と庇の下のコーニス(水平の細長い突
出部、蛇腹)の意匠には、洋風手法が採用されている。

昭和20年、劇作家菊田一夫が家族と疎開した旅館から見た小高い丘の上の岩谷堂町役場には、消防用の半鐘が取り付けら
れていた。菊田一夫はそれを見て、戦後大流行したNHKラジオドラマ『鐘の鳴る丘』を発想したといわれ、菊田一夫作詞 
古関裕而作曲 主題歌 『とんがり帽子』は、ドラマと共に大ヒットした。

現在も、毎朝7時と夕方5時には、塔屋に取り付けられたオルゴールから「とんがり帽子」のメロディーが流れている。


尚、本ページは奥州市 明治記念館様の資料提供にて作成したものである。

詳細はホームページ参照のこと。